ゴールデンウイークから紅葉のシーズンにかけて、
例年にぎわいを見せる富士山吉田口登山道の一番茶屋「中の茶屋」
(江戸時代中期の宝永3年(1706年)に創業)が今年春から、
ご主人の体調不良の為に休業状態になっていましたが、
息子さんが、現在のお勤め先を退職して中の茶屋を引き継ぐ事となり、
第十六代目として、中の茶屋が再オープンする事となりました。
先日、その息子さんとお会いして来ましたが、
再オープンには、ご苦労が多いようですが、
息子さんなりの計画があるようですので、今後が楽しみです。

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中の茶屋のお婆さんのお話をご紹介致します。
中の茶屋13代目婦人 坂田フミさん

ナカンチャヤがさびれてからは、1人でここを守り続けたフミさん。
「たった一人の山住まいでも決してさみしくはないが、
それでも永年連れ添ったおじいさんが死んだ一年ばかりはさみしかった。
夜中にとうつむぎがピィーンと鳴くと、こだまする。
山から吉田の家へ飛んで帰りたいような気持ちになった。でも・・・
こんなさびれた茶屋でも春になると私が行くのを待っててくれる人たちがいるんですよ」
おじいさんとの想い出は、おじいさんが大切にしていた「旗掛けの松」
(源頼朝が富士で鷹狩をした際、目印の旗を縛ったという)に、
富士の裾野で演習していた進駐軍が、格好の標的として無数の弾丸を
打ち込んだ。根元には多くの鉄砲の弾が入っているのだろう、かわいそうに
それから松は赤く枯れ始めてしまった。
フミさんにとってつらい想い出だったのでしょう。
つらい思い出といえば・・・
昭和30年代の初め、高千穂大学の学生7人が前の晩から泊まっていた。
日にちはよく覚えている11月23日だった・・。雪がやんで風もなく雪明かりで富士山
が鏡のように光っていた。「お山が泣いている」不気味な晩だった。
「いいかね。計画どうり進めようとしちゃだめよ。無理だと思ったらいつでも戻ってくるのよ」
送り出した学生達は笑いながら元気に出発。
頂上に着いた彼らを突風が襲い100メートルも飛ばされて遭難してしまった。
「あのときほどお山がにくいと思ったことはなかったね」・・・・。
秋になって下山するとき「おばあさんまだ下りるなよ。お山が寂しくなるから」と
山で稼ぐ木こりたちに引き止められて、例年よりも10日も長く延びてしまった年もあった。
台風の日など、必ず誰かがびしょぬれになってとびこんで来る。
そんな時は、商売など抜きで世話をする。「やっぱり、ここの茶屋はしめられん」と思う・・・
坂田フミさんは、15代目坂田健児さんのおばあさんです。
富士山の自然をこよなく愛し、
ご主人と一緒にお山(富士山)を守り続けました。
おじいさん(ご主人)が亡くなってからも
1人春から秋の間この山小屋で過ごしました。
山のすばらしさも怖さも知り尽くしていたフミさんは、
富士登山者の頼りになるおかあさんでした。
そのフミさんや、300年代々守り続けたご先祖様の気持ちが、
15代目に引き継がれて今の「中の茶屋」があります。
資料及び写真: 富士山・その風土と参道 飯島志津夫写真集(研光社)
続・甲州庶民伝NHK甲府放送局 (日本放送出版協会)